死刑を残すべきか、はたまた無くして別の手段を考案すべきか、という問いに対しての考察。
この本の大まかな論旨
- 死刑は犯罪抑止力になるのか?
- 結局のところ死刑に犯罪抑止力があるかどうかはわからない
- 附属池田小事件の宅間守氏の例などをとると、終身刑のほうが死刑より厳しい刑罰となるであろうケースは存在する
- 道徳的に考えると、「ひとそれぞれ」ということになってしまい結論を出すことができない
- 政治哲学的に→冤罪を考えると、死刑はダメ。
- 終身刑とかにすれば、曲がりなりにも修正はできる
- 冤罪は構造的な問題で、避けることはできない (=ミスで起きているものではない)
- 処罰感情に答えるには、死刑廃止だけではなく、終身刑の導入が必要
- 処罰感情は根深く、それに答えることは必要
- 終身刑は死刑より厳しいものにもなり得る。処罰感情にも答えられる可能性がある。
ちょっとよくわからない
- 「終身刑にすれば、冤罪が起きた時補償とかできるから死刑よりいい」というのが唯一の根拠のようだが、これが真だと思えない。
- 例えば袴田事件の袴田さんの拘禁反応とかみたとき、あれを見て「死刑よりはマシだろ」とは思えない (死刑執行されていたほうがよかったと言うことでは無い。どっちもどっちとしか思えない)
- そもそも「大多数を説得しよう」としたときに、「冤罪あるから死刑なくそう」とならず、「冤罪を無くそうよ」という方向に説得力が向きそうに思う
- たとえば、「冤罪で死刑にされるかもしれない」という恐怖より、「冤罪は自分の身にも降りかかる」という恐怖のが現実的で大きな恐怖になるのでは
- その方向をなくすための、「本当に構造的な問題で防ぐことができないのか」という疑問がちょっとまだよくわからない
- 終身刑にしたところで、その「構造的な問題」により、冤罪を起こす(裁判官・検察側の)心理的な障壁が低くなったり、"冤罪を隠そう"という強い力が起こるのでは
- この本などに書かれている裁判官・検察官の体たらくっぷりを見れば、想像に難しくない
- 「冤罪を隠そう」というのは、「冤罪の囚人を殺して、自殺したことにしてしまえ」というのも含む
- あと、「終身刑は死刑より厳しい刑罰」との前提を置いた時、「冤罪」に対して「より厳しい刑罰である終身刑」を適用する可能性に抵抗感を感じる人
もいるのでは。
- ちょっと雑な見方だけど
その他
第2章 死刑の限界をめぐって - 3 死刑に犯罪抑止力はあるのか、という問い
殺人立が低下したから「こそ」私たちはそうした (=殺人が増えているという) 共通感覚を抱いてしまう
- 殺人が比較的身近だった昔と比べて、かなり希少になってしまったが故に、殺人に対する拒絶感情が強まったと言う分析
- マスコミのせいかなぁとか漠然と考えちゃうけど、よく考えたら確かに共依存的なので、その捉え方も間違えってことですね
- いずれにせよ、感情論で考えちゃう人たちは物事を性格に捉えられないので残念
第4章 政治哲学的に考える - 3 それでも執行される死刑
(飯塚事件について) 坂井活子という科警研の技官が証人出廷している。 ... 坂井のその主張はDNA再鑑定の結果によって完全に覆されてしまった。 その坂井はまた、「飯塚事件」の公判でも証人出廷している。
- 飯塚事件というのは初めて知ったけど、これもまただいぶ酷い話。
第5章 処罰感情と死刑
冤罪の場合でも最悪の事態 (つまり冤罪なのに死刑が執行され、とりかえしのつかないことになるという事態)は回避できる。
- ここはこの死刑廃止論の重要なところだけど、どうも腑に落ちないのは上に書いた通り
- 終身刑でももはや十分「最悪の事態」に匹敵する事態になるのでは
- このあたりの議論が「哲学的考察」にしては浅い感じがする